ブログネタ
司法総合 に参加中!
2009/5/20 朝日新聞     社説  裁判員スタート


 裁判員制度が、明日始まる。
 国家の権力を形作る立法、行政、司法の3権のうち、立法権と行政権は、国政選挙とその結果に基づく議院内閣制の下、国民の意思が反映される仕組みを培ってきた。しかし、ひとり司法だけ、プロが一貫して担ってきた。
 プロが行う裁判は安定性や一貫性を強みとする。だが、とくに90年代以降の経済社会の変化、犯罪の多様化が、逆にそうした裁判の閉鎖性、後進性を浮き彫りにした。そこで司法制度改革が始まり、重い犯罪を対象にする裁判員制度の導入はその太い柱である。
 では、この制度は国民にとってどんな意味を持つことになるのだろうか。
 刑罰は国家権力の行使そのものだ。犯罪を繰り返させない、責任に応じた罰とは。同じ社会を構成する個人として被告に公平無私に対するとは。そうしたことに対し、ありふれた生活者の視点を組み込む。これが意義の一つだ。
 またこれまでの裁判では、容疑者の自白にこだわり、それを記録した書面を重視する「調書裁判」と批判されてきた。これを、法廷での被告や証人の供述を中心とした形に改革する必要がある。国民の代表が裁判に直接参加し、プロをチェックする。これも裁判員制度の大きな意義だ。
 民主的な社会を一層成熟させるうえでも意味は大きい。公的な意思決定にかかわる体験が積み重なれば、みんなでこの社会をつくろうという意識を高める一助になろう。
 裁判員制度が始まれば、予想もしなかった問題も生じうる。3年後、必要に応じて制度を見直す機会が大事になろう。
 忘れてはならないのは、司法の改革を裁判員制度の枠にととどめてはならないということだ。国民の司法参加は、人権侵害や公害、法令や行政行為へのチェックを担う民事・行政訴訟でこそ発揮されるべきである。司法改革第2幕へとつなげたい。
 裁判への参加を、民主的な社会を支える自然な行為と考える世代を作り出すためにも、裁判員制度を失敗させてはならない。

スポンサードリンク